29歳でガンになって神様に子宮返したった!

子宮失っても楽しく生きようゼ

【違和感】乗り越えるという言葉

ガンが分かったとき、Instagramのストーリーにも自分がガンになったと投稿した。


もちろん、YouTubeTikTokなど自分が使っていたSNS全てで自分の状況を公表した。


理由はただひとつ。


このガンは早期発見できる、さらにワクチンで予防ができる、でもセックスしたことある女性なら誰でも発症する可能性があるから。


それを知って欲しかった。



Instagramは、地元の友達や知り合いなどと繋がっていたツールだったけど、ためらいなくガンであることを告白した。


でも、コレがよくなかった。


狭い狭い田舎のコミュニティの中で、私がガンであることはすぐに広まった。


心配の声や、頑張ってという声、よからぬ噂話に、有りもしない作り話、そこまで仲良くないのに知ったように語るやつ、


もう、てんやわんや(笑)



地元の交友関係が一気に疲れた出来事の引き金になった。




この時期に私は、自分がガンになって初めて人を恨んだ。


誰も悪くないのに、、幸せそうな周りの人たちが死ぬほど気持ち悪く見えた。


InstagramにUPされるのは、


結婚したよ。

妊娠したよ。

子ども可愛い。


みたいな。


赤ちゃんや、子どもの写真ばかり。




なんで、。

なんで私はこんなにツラいのに、みんな幸せそうなんだろう。


人の子どもなんか全然可愛くない。


私子ども産めなくなったのに、


なんで?



って。


ねじれて、悲観して、恨んで、

マイナスのエネルギーがとても強かった。




自分の心がどんどん歪んだ。

バカみたいな思考に陥った。

あんたらに何が分かるんだと。   



こんな自分も嫌だった。




でも、あの時の荒んだ自分には、幸せそうな周りの人たちからの言葉なんてなにも響かなかった。





私を心配して、色んな声かけをしてくれたんだけど、歪みに歪んだ当時の私はそんな言葉もありがたく受け止められなかった。


むしろ、ひねくれてとらえてしまった。





この時1番嫌だった言葉は【乗り越える】という言葉。


『まるるだったら乗り越えれるよ!』


『頑張って乗り越えて!』




……は?





本来『乗り越える』という言葉は強く美しい。


なのに、当時の私はこの言葉が1番イラついた。


もちろん、『乗り越えて』と言った人は私をイラつかせる気は毛頭ない。励ましたかったんだと思う。


その想いをちゃんと受け止められなくて申し訳なく思う。




けど、乗り越えた先に何があるの?




たとえガンという病気を乗り越えても


私の子宮は一生元に戻らない。



ガンを患った事実も消えない。




私は突きつけられた病気と、その先の【空白】にただ怯えていたんだと思う。



このままでは、自分が壊れる。


どんどん汚い心になっていく。



そう思って、地元の人たちとの関わりをほぼ全て断った。何十年前からの友達、よく関わった人、全て。


Instagramも消した。

頻繁にUPされる、小さな子どもの写真を見るのが単純に辛かった。


電話帳の連絡先も消した。

死んだと思って、私を忘れて欲しかった。



これからの人生は、本当に寄り添ってくれる人とだけ生きて行きたかった。



本当に私を心配している人なら、指先動かしてLINEひとつで終わらせたりしない。



本当に私を思ってくれている人なら、行動してくれている。



無意味な人間関係に終止符を打ち、大切にしたい人、大切にしてくれる人がハッキリ分かった。



でも、これでよかったんだ。



【乗り越える】という言葉は、共に寄り添って歩んで行く覚悟がない限りはあまり響かないんだと実感した。


~つづく~